CA3I0057-20160109
前回「子供らしさ」について書いた。
 
その後、私の脳内会議で「いやいや、この年になってはそういうわけにはいかない。二十歳をこえた大人ならそのように行動しなければならない」という意見が出た。

考えた結果を忘れる前に、ここに書いておく。

結論としては「周りへの気遣いも大事だけど、自発的な行動を阻害する様な気遣いなら、いっそしない方が良い」ということだ。
誤解しないでもらいたいのは、他人を不用意に傷つけても良いというわけではない。

前回は「子供らしい」ということを「物事を純粋にとらえ、感じた事を表現すること」と言い換えたが、表現するとなれば他人の目にさらされることになる。
批判されることもあるだろうし、傷つけてしまうかもしれない。
だけど、自分が心からそのように感じたならそれを表現すべきだ。
きつい言い方かもしれないが、「他人への気遣い」を掲げて自分に不誠実に振る舞うのはやめろと言いたい。
 
自分はそう感じたのだ、ということを表現するならば、あとは伝達技術の問題である。 
「そのように感じた」ことまで否定することはない。
むしろ感じること自体をやめてしまうことの方が、よほど問題だ。

エーリッヒ・フロムは著書「自由からの逃走」の中でこう述べている。
すべて自発的な行為において個人は世界をつつみこむ。かれの個人的自我はそこなわれないばかりか、いっそう強固になる。というのは、自我は活動的であるほど強いから。
~中略~
自発的に行動できなかったり、本当に感じたりすることを表現できなかったり、またその結果、他人や自分自身にたいしてにせの自我をあらわさなければならなかったりすることが、劣等感や弱小感の根源である。気がついていようといまいと、自分自身でないことほど恥ずべきことはなく、自分自身でものを考え、感じ、話すことほど、誇りと幸福をあたえるものはない。
P288 第七章自由とデモクラシー, 1 個性の幻影
周りへの気遣いは大切だ。
その上で、自分で考え、行動する(表現する)ことを弛まず続ける様にしたい。


自由からの逃走 新版
エーリッヒ・フロム
東京創元社
1965-12






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