2016年01月

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働き盛りの年代はもちろん入社して日が浅くとも、勉強のため、他に追いつくためと長時間働く人は多い。
周りの期待に応えたい、出世したい、ここが正念場だから……。理由は様々だが、健康を害しては意味がない。

先日、内閣府の経済社会総合研究所から、「労働時間と過労死不安」という研究が発表された。
近年は過労死がクローズアップされるようになり法律も変わったが、過労(死)が関わるニュースは後を絶たない。

日本人に特有かはわからないが、無理をして消耗してしまうのは昔も変わらなかった様だ。
僕の友人に学問といい人物といい、今の社会に稀有な立派な人がある。しかし、とかく身体を粗末にする。かつ僕が少し年長なるため婆心ながら「もう少し身体を大切にしたらよかろう」と忠告したところが、その時友人は「どうせ、人間、一度は死ぬものである。よく行ったからとて、長命するものではない」と言って笑ってしまった。
~中略~
もし読者中の元気旺盛な青年があって、この人と同じような思想を懐いている人があるとすれば、僕は友人に呈した苦言を再び繰り返して諸君の反省を求めたい。君等は幸いに精力旺盛であるから、大切にこれを貯蓄して、他日大々的利用を心がけるがよい。
修養 第八章 貯蓄
仕事上やむを得ない場合も多いが、命あっての物種である。
また命を落とすまででなくとも、長期の通院が必要になったり思うように身体を動かすことができなくなったりするのは、明らかに仕事の範囲を超えている。

その他、飲み会で付き合いと称して暴飲暴食したりするのは体力の乱費だ。
普段から軽い運動と相応の食事を心がけ、体力の貯蓄を心掛けたい。

では貯蓄した体力はどこで「大々的利用」をすべきなのか。
それは後日「知識の貯蓄編」として書くことにする。


修養 (タチバナ教養文庫)
新渡戸 稲造
たちばな出版
2002-07

 


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いつの時代でも、お金は無いよりある方が良い。
それは新渡戸稲造が「修養」を記した明治時代でも同じである。

彼はこの本の中で金銭の貯蓄を説いているが、彼もはじめから貯蓄ができたわけではなかった。
親元にいる時は小遣いをもらってすぐ使い果たし、北海道に移って官費で通学するようになってからも人に迷惑をかけることがあったそうだ。
この時の同級生に貯蓄心に富む者がいたが、彼から学ぶどころか乱費党を代表してからかう位だった。
卒業後十年以上経ってその同級生に会いに行くと、自分の家を建て5,6人の子を成して教育を施し、困った人には融通する程になっていた。
学生時代の事もしっかり覚えていて、汗顔にたえなかったという。
ゆえに僕はしばしばこう思う。破廉恥的の吝嗇は感服せぬが、吝嗇にならぬ程度において、貯蓄の心がけあるものは頭脳が綿密で、後日必ず有益な国民の一人になる。
修養 第八章 貯蓄
お金を特別重要視するつもりはないが、無一文ではかえって迷惑をかける。
そういったことにならないよう、普段の貯蓄を心掛けたい。


修養 (タチバナ教養文庫)
新渡戸 稲造
たちばな出版
2002-07






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先日このような記事を見かけた。
プロレスには詳しくないが、記事を読んで回顧録を購入することにした。
彼がこれまでどんな人生を送ってきたか、いまどのように毎日を送っているかが中心に書かれている。また彼がプロレスラーとして、男として、父として何を考え伝えてきたのかが綴られている。
プロレスを全く知らない人が読んだとしても、その生きざまや考え方からは多くを学べるだろう。
特に心に響いたことばを書いておきたい。

どんな仕事であれ、一度それを引き受けたら、責任を持ってそれを全うしなければならない。
仕事というものは、100パーセントの全力で向き合う義務があり、それを怠ってはならない。
~中略~
関心が持てないような仕事であっても、それをすることが決まったのであれば逃げてはいけない。
仕事とは嫌々やるのではなく、できるだけ楽しみながらやりなさい。ネガティブな感情を切り捨てなさい。
楽しみながらできれば、すべてが楽になる。「嫌だな」と思いながらやれば、同じ仕事でも、とても重たいものに感じてしまう。すべては、自分の気持ちの持ち方次第だ、結果は一緒だったとしても、その向き合い方によって、仕事をする意味は全然違うものになる。自分がどんな気持ちで仕事に向き合っているか。プロフェッショナリズムの有無とは、そういうところでわかってくるのではないだろうか。

日は、また昇る。 男の引き際と、戦うべきとき 

私は最近退職した。
100パーセントの全力で向き合えなくなっていたからだ。
仕事は楽しくやりがいもあったが、就いた当初から「ここではない」という違和感を抱えたまま、解消されなかった。
これからは自分で選んだ方向へ、100パーセントの全力で向かっていこうと思う。

最後に、彼が「ファンからプレゼントされるなら何がいいか」と聞かれたときの答えを書いておく。自分もこう言えるように、全力で頑張りたい。

「何も思い付かないな。とりあえず、欲しいものは全部そろっている」







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つい先日、好きなミュージシャンが亡くなったことを知った。
彼の名は「デヴィッド・ボウイ」。


・ Under Pressureからはじまり、Under Pressureに終わる。
 
正直に打ち明けると、彼の楽曲で聴いた事があるのは「Under Pressure」だけだ。
学生のころからQueenの楽曲を好んで聴いていて、Under Pressureはその一曲という位置づけ。特に好んで聴くようになったのは、大学院に進んでからだ。
当時は院生としての役割が全うできず、進学したことを後悔していた。学費を払ってくれた両親にも申し訳なかったが、打ち明けることなどできなかった。
成果が上がらず自分がどこに向かっているかもわからない。何を目指していたのか、そもそも目的を持っていたのか……。そんな時、Queenのアルバム「Greatest Hits III」の2曲目に収められた、この曲に出会った。

・言葉はわからなくても。

アルバムを通して聴いていた時、Under Pressureが以前とは違って聴こえた。
特に楽曲の最後の部分、デヴィッド・ボウイが歌っているところが心に残ったのだ。
Cause love's such an old fashioned word
And love dares you to care for
The people on the edge of the night
And love dares you to change our way of
Caring about ourselves
This is our last dance
This is ourselves
(Under pressur)
(Under pressure)
(Pressure)
※()内はフレディ・マーキュリーが歌っている部分
この部分を聴いていると、彼に励まされ元気づけられているように聴こえた。
すぐに歌詞を調べ紙に書き写し、ことあるごとに見て彼の声を思い出し、自分を鼓舞した。
リピートし、何度も聴いた。
相変わらず成果は出なかったが、そこで挫けず修了し就職できたのはこの曲に支えられたことが大きい。(担当教授や両親には迷惑をかけてしまったが……)

・ありがとうデヴィッド・ボウイ。

Queenとデヴィッド・ボウイが出会わなかったら、ジャムセッションがなかったら。
この楽曲は誕生していなかっただろう。
そうなれば当時の私は、文字通りプレッシャーに潰されていたかもしれない。
今でも自分を奮い立たせたい時には、必ずUnder Pressureをリピートする。
これからも変わらないだろう。
「もう駄目だ、ここまでか」「もう一歩、ここが踏ん張りどころだ」重圧がかかる時、自分を鼓舞してくれる楽曲があるということの、なんと有難いことか。
さようならデヴィッド・ボウイ。
 
そして、心から、ありがとう。




Greatest Hits III
Queen
Parlophone
1999-11-12



CA3I0052-20160111
先日、こんなニュースを見かけた。

13人死傷の容疑者を「金持ち病」を理由に釈放するアメリカ 地獄の沙汰もカネ次第か

弁護側の証人となった心理学者の主張、
「この少年は、裕福な家の子どもが親から過剰に甘やかされ、物ごとの善悪が分からなくなる『金持ち病(affluenza、アフルエンザ)』に罹っている」
について、思うとこがある為書いておく。

・親の因果が子に報い

以前本ブログで紹介した「エチカ」の一節に、このようなものがある。
たとえばわれわれは、一度一つの対象によって強く動かされたために、後にその対象が目前になくとも、自分の目の前にあるかのように思いこんでいる人々にたまたま出会う。
~中略~
ところが反対に、けちんぼが、利殖や金銭のこと以外には何も気にとめず、また野心家は名誉以外のものをまったく意に介さないなどの場合、彼らは精神錯乱であるとは思われない。なぜなら、彼らはやっかい者であり、憎悪に値するものであると思われるのがふつうだからである。しかし実際のところ、吝嗇(=けち)、虚栄、肉欲などは、病気の中に数えられないにしても、やはり精神錯乱の一種である
第四部人間の隷属あるいは感情の力について 定理四四 注解
容疑者の少年がかかっている「金持ち病」なる病とは、この精神錯乱だと思う。
彼は死傷者を出す事故を起こし、保護観察処分になったが、その後違反して飲酒したことが発覚。国外に逃亡した。
国外逃亡を助けたのは母親というのだから、精神錯乱は母親譲りだったということか。

・治るものなのか?

彼にとって犯罪を犯してまで助けてくれる母親は、強い味方だろう。
父親が大富豪であることも大きく関係している。
家族が味方なのは喜ばしいことだが、ここでは真逆に働いている。
ならば、家族と絶縁して別な土地で暮らす位でないと、更生の余地はないと思う。

彼には最長120日間の少年刑務所暮らしが待っているそうだが、到底更生に足る期間とは思えない。
かといって自分から更生されようなど思わないものだから、出所後も似たようなことを繰り返すのだろう。
少年ではなくなり、本当に取り返しのつかない所にまでいかないとわからないものなのだろうか。


エティカ (中公クラシックス)
スピノザ
中央公論新社
2007-01





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